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大学卒業後、大学病院、様々な総合病院、米国での研究などを経験し、16年あまりが経ちました。
これまで様々な病院で医学のみならず人生をご教示下さった恩師の方々、友人、そして何よりもそれぞれの治療に微力ながら従事して頂戴いたしました患者様方からの声は、
私にとって欠けがいのない宝物であり、今後も活力を与え続けてくれるものとして大切にしたいと思っております。
今振り返り、自分がこれまで寝食をわすれて没頭してきた一連の医業の中でいろいろと思うことが大きかったのは、
米国、Boston、Harvard Medical Schoolの産婦人科専任講師時代の時でした。
Bostonの冬はとても厳しく、街の中心を東西に走るCharles Riverには冬になると氷が張り、寒波のため国際空港が閉鎖されることも稀ではありません。
しかしながら、外から家に戻ったときの暖炉のあかりにはほっと溜息がつけ、そんな一瞬にささやかな喜びを感じました。
冬が寒ければ寒いほど春の訪れにはより大きな感動があり、このことは人生の色々な状況に当てはまるのではないかと思いました。
渡米後の最初の1年半あまりは、手がけていた不妊症関連の仕事も思うように進まず、それまでにはない挫折や行き詰まりを経験しました。
遠い先の結果ばかりを考えず、少し先の自分のいい姿を思い浮かべ、いいイメージに沿って行動することで、自分の運命の舵がすこしでも良い方向へ切れると信じ続けること、
思う方向に船が進まなくとも舵を手放さないことが、唯一の道と考えました。
成功するには「運、根、鈍」が必要と書かれた書とたまたま巡り会い、それまでの自分は、先へ先へ進むことばかり考えて、要領よく利口に立ち回ろうとし続け過ぎたことで、
失敗も多くあったのだと反省しました。常に前進を求める「根」も重要でしょうが、「そのうち、いいこともあるだろう、
やがて春がやってくる」ぐらいに悠長にかまえる姿勢、文字どおり「ドン」としていることの意義を少し理解し得たことが、その後、幸いにも、
いくつかの研究成果をもたらしつつあるのではないかとも感じております。
また、異国の文化や人々に触れることで、日本人の特性について色々と感じました。
日本人の勤勉性、緻密さには誇るべきものが多くあると認識しております。戦後の日本をこれまでの大国に育てあげた背景には、
日本人のその独自の国民性の存在があることには誰も否定できないでしょう。
しかしながら、最近耳にする、過激な受験戦争、学校内家庭内暴力、援助交際、毒物事件などの一連の病的状態に関して、日本もじっくり考えなければならない時期にきていると思います。
欧米の人たちは(例えば多忙な医師、科学者をとってみても)、どこか余裕があり、仕事や生活を真の意味で楽しみ、家族を心から愛し、
他人と比較してうらやんだりねたんだりすることなく、社会人として家庭人として有意義な人生を送っているように思えます。
自分自身の価値観、人生観というものをしっかり維持し、時にはそれが他人と異なるものであっても、自分を見失うことなくしっかりと生きているように見えます。
この大きな価値観、人生観の違いは、幼少時の教育から生じるものだと思っています。
日本の子供は、親の言うことを素直に聞く子が良い子、そして、親や学校の期待した答えをだした子が優等生とみなされてきました。
教室では、「お口はチャック、手はお膝」と教育され、人と異なる意見を言うとそれがとても独創性、創造性に富むものであっても時には悪い点数をもらうことになります。
大人たちがみな同じものさしで子供の能力を計っているのですから、競争は激烈になるのも当然です。
人よりも点数を多くとり、多くの課目で良い成績をとり、よい学校に入り、よい仕事に就くことが重要とされ、そのために親たちは、教育上の少々の「ゆがみ」を無視し、
異常な力を子供の点数獲得に注ぐわけです。終身雇用制、賃金も年功序列型が一般的な日本ですから、受験さえ勝ち抜き一流大学を卒業すれば大方の人が、終生、
良い暮らしが保証されるという日本の仕組みも、そのような親が多く出現した背景にはあるのでしょう。
生活が豊かになり家事が機械化されることにより時間にも余裕のできた日本の親たちが「お受験」に加熱化し、競争に野心を注ぐわけなのでしょう。
親は子供の将来のためにと考えて一生懸命やっているのですから(時には自分自身の生活を犠牲にしてまで)、一概にそれを責めることはできないとは思います。
このような日本の親のおかげで、他国人にはない日本人の勤勉性、緻密さを維持することができているのでしょう。
誰からも日本人特有のすばらしい国民性が評価されていることは事実であります。
しかしながら、しっかりした自分の価値観や人生観を持てない人、他人と比較することでしか自分の幸せを評価できない人、仕事や生活を心から楽しめない人、
自分の個性が社会で発揮できなく欲求不満で苦しんでいる人、自分自身の独創的なアイデアが持てない人、自分の結婚相手までを親の意見なしで決められない人、
命を粗末にする人、これらの病める人々の存在は重大な問題と思います。日本の多くの子供は、親に生活のすべてを判断してもらい、親の顔色をうかがいながら生き、
親が子供に捧げた人生と労力と同じだけ(もしくはそれ以上)の成果を期待されています。
早い時期から子供を親の付属物としてではなく一人の意志を持った人間として多少距離をおいて育てる、その上で善し悪しの区別をきちんと子供に教える、
無限多彩の可能性を秘めた子供を親の価値観で縛らず個性や独創性をのばしてやる、こんな欧米風の教育も大事なのではないでしょうか。
私は、欧米風の教育が日本のそれより総合的に勝っているかどうかは結論づけられませんし、日本のこれまでの教育方針も重要だと思っていますが、
競争が進み過ぎ「ゆがみ」の生じた現在の日本としては、欧米の親から学ぶべきことも多いように思います。
日本の物資の過剰な豊かさも、この「ゆがみ」をもたらす一因となったのだと思います。子供は、「三割のひもじさと三割の寒さ」で育てなければ、その価値がわからず、
幸せを感じることができないで終わることになるかもしれません。現在耳にする日本の病的状態は、まだ発病したばかりかも知れません。
早く治療を開始しなければ、早く進行を止めなければ、現在の状況で育った子供たちが次の世代の親になったときに、現在の病的な状態は、
さらに想像もできないことを導いてしまうかもしれません。日本の政治や教育制度がやらなければならないことも多々あるのかもしれませんが、それは後からでも間に合うと思います。
私はまだこのような問題に明確な結論を出せるような年でもありませんし、近い将来もっと重要なことに気付くかも知れません。
しかし、結果はどうあれ、よく考えることで後悔のないように現在を生きたいと思っています。
子供の教育方針を考えることは、ちょうど、臨床医学の治療方針、基礎医学の研究方針を選択するのに似たような性質があるかも知れません。
どの道が本当に正しい道か判断が難しいことがしばしばですが、その時点で最良だと思う道を見つけだし、進み続けなければなりません。
時には患者様と共に、苦悶の日々に耐えなければならないこともあると思います。決して派手な道ではなく、よい結果が約束されている訳ではなく、
天の意志は人の賢さや努力の限界を越えたところにあることも事実でしょうが、地道な一日一日の努力の積み重ね、「一隅をてらす」連日の努力だけが我々に出来る唯一のことだと思います。
冬の寒さが厳しければ厳しいほど、春の訪れにはより大きな感動があるはずと信じています。
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